恐れず語る―米国ネオコンのようではなく

2005071001
  • 2010年4月12日(月) 22:50 JST
  • 投稿者:
    三浦三千春
  • 閲覧件数
    155
2005年7月10日(聖霊降臨後8)
エレミヤ20:7~9、11~12 
マタイ10:16~33

 エレミヤは、旧約聖書の「預言者」の一人です。日本語で一般的に使われる「予言」は、単に、未来の予測ですが、
 「預言」は、神の言葉を“預”かること。国語辞典を見ても「キリスト教に独特の用語。神の霊感を受けた者が神の意思を告げること」とあります。
 加えて、エレミヤを含む「預言者」は、しばしば、未来に関する「予言」も含めての「預言」を語りました。それは、
 預言者の真贋が明らかになるための“しるし”でもあった。すなわち、
 エレミヤ28:9にある通り、預言者を名乗る者が、未来予測を語った場合、「その言葉が成就(実現)するとき
 初めて、まことに主に遣わされた預言者であることが分かる」というのです。
 



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 エレミヤが生まれ、活動したユダ王国は、ユダヤ民族の国で、天地創造の神と契約を交わしておりました。エレミヤから
 さかのぼること数百年前、神はユダヤ民族に、契約を守るならあらゆる面で祝福すると約束されました(申命28:1~14)。
 一方、「神、主の御声に聞き従わ…ないなら」、呪いを受け(申18:15~68)、
 異国に攻め滅ぼされ、異郷の地に散らされる、と警告されました(申命18:63、64)。エレミヤの時代は正に、
 警告の通りに事態が進展する最終段階でした。歴代の王や民らの多くが、しばしば神をないがしろにした結末です。
 ですからエレミヤのメッセージの中心点は、他の預言者と同様、「悔い改めて神に立ち返る」(エレ8:4)べきことでした。
 加えてエレミヤは、(彼らにとって)未来の“国際情勢”と、その中での行動指針をも神から教えられておりました。
 すなわち、ユダ王国を圧迫し続けてきたアッシリア帝国はこの時代、衰退し、この機にエジプトと結べば展望が開ける等と主張する国内勢力もありました。
 しかしエレミヤは、次の時代の覇者として神が定めておられるバビロン帝国(エレ27:6)の軍門に降ることで命脈を保つように(27:11)と語ったのです。そして、
 捕囚とされて行った地で定住し、その地で、まことの神を、心を尽くして求め(29:12)るようになるし、神は赦して下さることを預言しました。
 バビロンは即座に砕かれる、と語る偽預言者に、真っ向から対決し(エレ28)たエレミヤの正しさは、歴史が証明するところとなるわけですが、
 当時の人々にとっては耳障りの悪い預言であって、歓迎されない。嘲笑を受け、投獄され、預言の記録も燃やされてしまう憂き目に遭った。正に、
 「主の言葉の故に、わたしは一日中、恥とそしりを受ける。もう主の名を口にすまい。主の名によって語るまい」(20:8、9)と嘆かざるを得ない状況だったのです。
 さて、現代に目を転じましょう。
 アメリカのブッシュ大統領がイラク戦争を開戦した時、横に誰か預言者がいて、開戦を進言したのでしょうか?
 ブッシュ政権の中核、「ネオコン」の人々の間では、聖書解釈のあり方として、
 終末には中東を中心舞台に、親キリスト勢力と、反キリスト勢力が戦う(「ハルマゲドンの戦い」等)ことになって行き、
 その戦いの過程で携挙があり、キリストが再臨される、という聖書解釈が浸透しています。その
 論客の一人、ハル・リンゼイの著『地球最後の日』(私は30年前読みました)では
 現在(30年前のですよ)のアメリカの軍隊はニュートラル(中立)になりすぎた。それではだめだ。聖書の預言に従って
 (といっても、彼らの聖書解釈に従ってということですが)、アメリカは軍事的にも、中東で積極的に役割を果たすべき、と書いておりました。そういう
 信念に後押しされてイラク開戦もあった、という要素が強いと思われます。
 リンゼイの同著には、現代でも預言者のような者が存在し、それは聖書の未来予言を正しく解釈できる者のことだ、と主張し、自らもその一員だとほのめかしておりました。そういう
 聖書解釈が絶対に間違っているか正しいかは、私は分かりません。しかし、
 現在のアメリカの独善的な姿勢、そして環境問題や平和外交に無関心な姿勢が、「聖書から来た信念なのだ」というなら、それはいかがなものでしょうか?
 「明日、世の終わりが来たとしても私はリンゴの樹を植える」というのがキリスト者の姿勢であるべき。「終末を現出させるため積極的に戦争しよう」という発想は間違っています。
 何よりも、預言者らを含む旧約聖書の中心的使命は、救い主キリストの誕生と、そのキリストによってもたらされる信仰の生命ある姿を預言することでした。
 そしてそれはすでに成就された! 私たちはあくまでも、救い主キリストの救いの御業と、その御心(あなたの敵を愛しなさいといった)に目を止めるべきです。
 しかし、「キリストが救い主です。私やあなたの、神から離れた罪を赦し、救って下さる方なのです。信じれば救われます」という福音を語る時、
 エレミヤが直面したのと同様な、人々の反応に直面し、「もう主の名を口にすまい」という思いに私たちは駆られます。
 しかし、みことこばの続きに目を止めましょう。「語るまいと思っても、主の言葉は、私の骨の中に閉じこめられて燃える」
 語らねば、もっと苦しい! これは私たちの経験そのものではありませんか!
 けれども、祈のうちに気付かされます。「しかし主は、恐るべき勇者として私と共にいます」(エレ20:11)。
 聖霊によって共にいて下さる主が、慰め、励まし、新たな力を下さるのです。
 「わたしの訴えをあなたにうち明け、お任せします」(:12)。祈りに耳を傾けて下さる方、お任せすることができる方がおられることは何と幸いなことでしょうか。

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