人の尺度と神の尺度―ヘボでも大リーグでプレーすれば

2005100901
  • 2010年4月14日(水) 07:13 JST
  • 投稿者:
    三浦三千春
  • 閲覧件数
    378

2005年10月9日(聖霊降臨後21)
マタイ20:1~16
イザヤ55:6~9



 米国のメジャーリーグで1995年、選手たちが数週間に及ぶストライキに打って出たことがあったそうです。



 今朝のみことばは、神の恩寵が大きなテーマなのですが、マックス・ルケードという作家(牧師でもある)が、
 神の恩寵とは何かを説明するために、その時に起こった興味深い実話を描いています。それは、プロの
 選手抜きでもシーズンを開幕させようと決意したオーナーたちが、試合に出たい人なら誰にでも門戸を開放したのです。
 もちろんメジャーリーグの公式試合ですよ。そこに、野球が大好きで、「ゴロのすくい方やバントをアウトにできる方法を知って」さえいれば誰でも出したのです。
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 ライナーの打球もめったに外野に届かなかった。投手が投げた球は、スピードガンで測れないくらい遅かった。
 外野からの送球をつないでいる間に、ファンはピーナツの殻を1ダースむくことができた。選手たちは急な坂を登る機関車のあえぎに劣らず息をはずませていた。
 しかし、何とまあ、選手たちは楽しんでいたことか! この試合をするのがうれしくて仕方ないのだ。
 みな球場が開く前に到着し、グローブに油を塗ったり、スパイクの汚れを落としたりしていた。
 家に帰る時間になってもグラウンドの整備員に追い払われるまで留まっていた。
 この連中は自分たちが野球にとってありがたい存在だとは思っていなかったが、自分たちにとって野球はありがたいと思っていた。(『グリップ・オブ・グレース』より)
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 この、ヘボ選手――しかし野球を熱烈に愛する――たちにとって、大リーグでプレーできること自体、嬉しくてたまらなかったということですよね。
 今朝の聖書のみことばも中に、彼らと似た人々が出て来ます。そのことをお話しします。イエス様は喩え話で、大きな
 ぶどう園の収穫を持ち出されました。何日も何週間もかけていれば、せっかくの収穫が腐ってダメになってしまいます。
 多くの人手が必要で、ぶどう園の主人は日雇いの労働者を集めました。この主人は、天地を造られた神の喩えです。
 1、2節を見ると、日の出前の早朝に雇われた人々がいることが分かります。日当1デナリオン、今のお金なら1万円とか2万円の約束です。ところが午前9時頃、
 仕事が間に合いそうもないと判断した主人が人を集めに行くと、「何もしないで立っている人がいた」。それで彼らを
 雇いますが、注意深く読むと、日当の約束はしていませんね。同じように昼の12時、午後3時、そしてもう日も暮れかかる夕方の5時に雇われた人々がいます。
 そしてどうも、後の方で雇われた人ほど、仕事の戦力にはならない人のようです。なぜなら7節を見ると5時の人が、
 「だれも私のことを雇ってくれないのです」と言っているから。先ほどの
 野球の喩えで言えば、球を投げてもスピードガンで測れないほど遅く、その間に
 観客がピーナツの殻を1ダースむけるような、もたもたした仕事しかできない人々でしょう。一方、
 早朝に雇われた人たちは、さしずめ、大リーグのプロ選手! 戦力になる、雇われて当然の人々です。
 さて、一日の仕事が終わって支払いの時に、主人は、夕方5時に雇われた人から順番に支払うのです。
 夕方5時組はいくらもらったでしょう? 早朝組が1デナリオンの約束でしたから、1時間ほどしか働いていない彼らは
 1000円、2000円でももらえたらオンの字です。ところが何と、主人は1デナリオン、丸一日の2万円払ってくれたのです。
 早朝組はそれを知って、「自分たちは当然、もっと多くもらえるだろう」と期待した(10節)。ところが
 手にしたお金は同じ1デナリオンでした。大リーグの代理試合で、臨時選手たちがどのくらいギャラをもらったか分かりませんが、この喩えで言うと、
 松井やイチローと同じ金額もらったということですわな。それで当然不平を言います。主人の言うことが
 ふるっています。「私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」(14節)。これが
 神の尺度(物差し、物事を計る基準)です。人間の尺度とは違います。先の
 7節の「誰も雇ってくれないのです」という言葉に、たそがれ5時組の仕事に対する意欲を見ることができます。彼らは
 働きたくて仕方がなかった。そして、働く場が提供されたことに感謝し、自分の持てる技量を精いっぱい出して
 (たとえ超スロー送球しかできずポテンヒットしか打てなくても)一生懸命やったでしょう。雇ってくれた主人の期待にこたえようとして! 彼らにとって、
 「自分たちが野球にとってありがたい存在だとは思っていなかったが、自分たちにとって野球はありがたいと思っていた」ということだったのです。
 私たちは福音を知らされ、イエス様の救いを信じれば、父なる神の作られたこの世界で精いっぱい、神を喜び
 人を助ける“何か”をさせて頂きたいという心が与えられます。自分の技量を精いっぱい出してやるその業を、主人である
 神は喜び受け入れて下さる。そんな私たちが頂けるものは「当然の報酬」ではありません。それを
 はるかに超えた、思いがけない神の恩寵のプレゼントです。

 

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